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週刊ユキコさん

40歳。4児の母。果樹農家の嫁。 末っ子(年長)を除く上3人が不登校。 夫と2人、それぞれ自分探し中。

学校のために生きていた

次女が不登校になったのは5年生の6月だが、それよりかなり前3.4年生の頃から『どうして学校に行かなければならないのか』を真剣に考えていた。

 

当時の私は『学校は絶対に行かなければいけないもの』という頭しかなかったので『日本は7歳になる年から学校に行くと決まっている』『みんな嫌だけど行ってるよ』なんて、時に励まし、時に怒鳴りつけ、今から考えると恥ずかしくなるようなことしか言っていなかった。

 

それでも娘の『学校が嫌』な様子は消えることもなく、私はどうにか納得できる答え、頑張れる答えはないものかと考えていた。

『答え』を探していた。

 

『今はわからないかもしれないけど〇〇が〇〇らしく生きて行くために必要なことを今学んでいるんだよ』

そんなことを言ってみたりした。

 

もともと真面目な娘なので、嫌で仕方ないのに学校から帰ると1番に宿題を済ませていた。忘れ物もない。人の嫌がることを喜んでするような娘なので友だちや先生にもいつも頼られていた。   頼られることが喜びである反面、嫌な場合も言えない性格なので頼られすぎて負担も大きかっただろう。

金曜日の帰宅後に宿題を済ませた時の開放感も束の間、日曜日は午後になるとため息が止まらなかった。

 

今思えば本当に胸が苦しくなる。

どんなに辛かっただろう。

『学校が嫌だ』とずっと言っていたのに。

 

私は子どもたちの『学校生活』を中心に生活してきた。   学校があるから早く寝かす。学校を頑張れるように子どもたちが望むことや望む場所に連れて行く。

 

学校のために生きているようなものだ。

 

娘が悲鳴をあげてくれて良かった。

 

頭ガチガチでちっともわからない私は娘によって強制的に人生を考え直す時間を与えられたのだ。