週刊ユキコさん

40歳。4児の母。果樹農家の嫁。 末っ子(年長)を除く上3人が不登校。 夫と2人、それぞれ自分探し中。 、、、から状況は変わり中学から行き始めた次女は約2カ月通いまた行くのをやめた。小学校へ一応入学した次男は1週間で終了。4人の子どもたちは毎日家にいる。

ガマン星人

 

ガマン。ガマン。とにかくガマン。

 

私がさみしくてもガマンし続けた(し続けるしかなかった)のは、父の夢を叶えるためだった。

 

夢を叶えるため自営を始めたいと相談されたとき(報告だったかもしれない)なんだかとっても楽しそうでウキウキするような毎日が待っているような気がして賛成したのを覚えている。

 

ところが待っていたのは、父も母も私が寝てから帰ってきて、朝は私が学校に行ってから起きるという全くのすれ違い生活だった。

 

祖母が私の面倒を見てくれた。

 

小学校3年生とか4年生の頃だった。

今、自分の子どもたちを育てている中でその頃の自分を思うと、それはもう切なくなる。

 

でも子育てするまでは、

『寂しかったけど、他にも父親、または母親とあまり過ごせない友だって知ってたし、自分だけが辛いわけじゃなかった。』そんなふうに思っていた。

 

すれ違い生活の中で出来上がったガマン星人は長い間眠っていたが、結婚し子どもが生まれ幸せそのものだった頃の家族の転機にまた活躍を始めた。

 

夫が訳あって仕事を辞め稼業を継いだ頃、夫は夫でもがいていた。

本を読んだりセミナーに出たりするようになった。

自己管理をしようといろいろ取り組んだり、本で得た知識を教えてくれたり、セミナーで出会った人たちのことを嬉しそうに話してくれたりした。

 

夫がより良くなろうとしている姿を嬉しく思い

『何かできることがあったら言ってね。』

『あなたがやりたいことは応援する。』と伝えていた。

 

これは嘘偽りのない私の気持ちだった。

 

ただ、気持ちに相反して孤独感なのか、疎外感なのか、よくわからないものを抱えて苦しくなって行くもう一人の自分の気持ちを見過ごすことが難しくなっていった。

 

最初の頃は、自分の中で何が起きているのかを落ち着いて見つめることを知らなかったから、ガマンしてガマンして爆発して、、、そんなことを繰り返していた。

 

不登校のことがあり、自分と向き合うことにも慣れてきた頃、正直な気持ちを夫に話しながら私は気づいた。

 

私にとって、

『大切な人が夢を叶える』

『やりたいことをやる』

イコール

『私はガマンをする。』

 

という法則が出来上がっていたのだ。

 

夢のために頑張る父や母のために自分はガマンする。

自分さえガマンしていれば、家族は幸せ。

 

その昔成り立っていた私の中の『家族の幸せの形』を今の自分の家族でもきちんと成り立たせようとしていた。

 

夫は

『俺が夢を叶えることと、自分が大切にされることは両立しないって思ってるでしょ。』と言った。

 

その通りだった。

 

またまたボロ泣き。

よく泣いた時期でもあった。

 

今考えると、ガマン星人は茅ヶ崎の竜さんが発見してくれた。

 

竜さんと一緒に夫婦の形、家族の形に取り組んだこの頃は、進んで戻ってまた進んで。

良くなったと思ったらまたダメで落ちるところまで落ちて、、、。

 

でもそんなあの頃が今の私を作ってくれた。

『大丈夫』と言い続けてくれた竜さんあっての、私たち夫婦なのだ。

 

 

ガマン星人は時々顔を出したがるけど、これからはうまく付き合っていけるだろう。